2008年4月30日

The Animals Don't Let Me Be Misunderstood(悲しき願い)

ジ・アニマルズ (The Animals) は,イギリスのロックバンド。
1960年代半ば,ビートルズなどと共に世界的に人気を博した。

 1963年,イギリスのニューキャッスルでエリック・バードン(ヴォーカル),アラン・プライス(キーボード),ヒルトン・ヴァレンタイン(ギター),チャス・チャンドラー(ベース),ジョン・スティール(ドラム)の五人で結成。
 バンド名の由来として最も有力なのが,ライブがあまりにもワイルドだったため観客から「Animal!」という声が多くかかったことから,メンバー自ら名乗るようになったというエピソード。

 音楽性はブルース色が非常に強く,ジョン・リー・フッカーの「Boom Boom」などをコピーしている。
 対照的に,シングル曲にはヒットを意識してブリル・ビルディング系の作曲家の作品が多く取り上げられる。

 ヒット曲は数多くあるが,「The House Of The Rising Sun(朝日のあたる家)」はアメリカの伝統的な歌として知られており,ボブ・ディランがフォークソングとして発表していたものを,ブルース的な解釈でカバーしたものである。
 日本でも,「Don't Let Me Be Misunderstood(悲しき願い)」が尾藤イサオにより日本語カバーされるなど人気を博した。


アニマルズ 「Don't Let Me Be Misunderstood」


Santa Esmeralda - Don't Let Me Be Misunderstood


尾藤イサオ 悲しき願い

2008年4月29日

石川セリ 八月の濡れた砂


石川セリ(1952年12月27日 - )
 神奈川県相模原市出身の歌手。本名は井上セイディ(Seidy)。
 玉川学園高等部に在学中コーラスグループ「シング・アウト」に在籍,モデル経験もある。
 1971年,映画「八月の濡れた砂」の主題歌「八月の濡れた砂」を担当し,1972年,レコードデビュー。
 夫は井上陽水。

2008年4月14日

ガロ

 堀内護 (愛称MARK、1949-)、日高富明 (愛称TOMMY、1950-1986)、大野真澄 (愛称VOCAL、1949-) の三人グループ。
 全員が生ギターとボーカルを担当するのが基本的な編成。
 ガロという名前は、当時ザ・タイガースのマネージャーで三人の世話役でもあった中井國二が自分の子供にと考えていた「我朗」から名付けられた。
 松崎しげるらと「ミルク」という名のバンドを組んでいた堀内と日高に大野が加わり結成。
 かまやつひろしのバックバンドを経て、ミッキー・カーチスのプロデュースで、1971年にシングル『たんぽぽ』でデビュー。
 同年11月、アルバム『GARO』をリリース。
 1972年、セカンドアルバム『GARO2』をリリース。
 同年6月、このアルバムから1曲目の『美しすぎて』をA面、3曲目の『学生街の喫茶店』をB面としたシングルがリリースされたが、 当初はシングルチャート上位には登場しなかった。
 同年12月、サードアルバム『GARO3』をリリースしたが、それと前後して『GARO2』からシングルカットされた『美しすぎて』のB面『学生街の喫茶店』がラジオや有線放送のリクエストを集めるようになり、1973年2月19日付けのオリコンのシングルチャートで1位に浮上、4月2日付けのチャートまで7週連続1位をキープするヒットとなった。
 アルバム『三叉路』が最後のレギュラーアルバムとなり、1976年に解散。
 その後もそれぞれに活動を続けていたが、1986年9月20日、日高が自宅近くのマンションから転落死した。享年36。
 

学生街の喫茶店


ロマンス


 あと,「一枚の楽譜」と「君の誕生日」がない・・・

2008年4月13日

青年日本の歌(昭和維新の歌) 全番

青年日本の歌(せいねんにほんのうた)は、1930年(昭和5年)に作られた歌
昭和維新の歌としても有名
作詞作曲は、五・一五事件の首謀者の一人である三上卓



汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く

権門上に傲れども
国家を憂ふる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思ふ心なし

ああ人栄え国亡ぶ
盲たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり

昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫が
胸裡百万兵足りて
散るや万朶の桜花

古びし死骸乗り越えて
雲漂揺の身は一つ
国を憂ひて立つからは
丈夫の歌なからめや

天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ

見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫びて
革新の機到りぬと
吹くや日本の夕嵐

ああうらぶれし天地の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰が高楼の眺めぞや

功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらふ

やめよ離騒の一悲曲
悲歌慷慨の日は去りぬ
われらが剣今こそは
廓清の血に躍るかな


汨羅は、古代中国楚の詩人屈原が国を憂いて入水した川の名
巫山は中国の名山の名で、「巫山の雲」とは男女の情交を意味する言葉

2008年4月11日

アッツ島血戦勇士顕彰国民歌(アッツ島玉砕の歌)

アッツ島血戦勇士顕彰国民歌(アッツ島玉砕の歌)


大本営発表(昭和18年5月30日17時)

  1. 「アッツ」島守備部隊は5月12日以来、極めて困難なる状況下寡兵よく優勢なる敵に対し血戦継続中の処、同29日夜敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮せんと決意し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後通信全く杜絶全員玉砕せるものと認む。傷病者にして攻撃に参加し得ざるものは之に先ち悉く自決せり。我が守備部隊2千数百名にして部隊長は陸軍大佐山崎保代なり。敵は特殊優秀装備の約2万にして5月28日までに与へたる損害6千を下らず。

  2. 「キスカ」島はこれを確保しあり 


作詞: 裏巽(うらたつみ) 久信
作曲: 山田 耕作
昭和18年 朝日新聞選定歌

1. 刄(やいば)も凍る北海の
  御盾(みたて)と立ちて貳阡餘士(にせんよし)
  ?鋭擧(こぞ)る熱田(アッツ)島
  山崎大佐指揮を執る
  山崎大佐指揮を執る


2. 時維(こ)れ伍月拾貳(じふに)日
  曉(あかつき)込むる霧深く
  突如と襲ふ敵貳萬
  南に邀(むか)へ北に撃つ
  南に邀へ北に撃つ

3. 陸海敵の猛攻に
  我が反撃は火を吐けど
  巨彈は落ちて地を抉(ゑぐ)り
  山容(さんよう)澑(ため)に改まる
  山容澑に改まる

4. 血戰死鬪拾捌(じふはち)夜
  烈々の士氣天を衝(つ)き
  敵陸阡(ろくせん)は屠(ほふ)れども
  我又(また)多く喪へり
  我又多く喪へり

5. 火砲は全て摧(くだ)け飛び
  僅(わづ)かに銃劍手榴彈
  寄せ來る敵と相撃(あひう)ちて
  血汐(ちしほ)は花と雪を染む
  血汐は花と雪を染む

6. 壹兵(いつぺい)の援(ゑん)壹彈の
  補給を乞はず敵情を
  電波に託す貳阡粁(キロ)
  波頭に映る星寒し
  波頭に映る星寒し

7. 折柄(をりから)拜す大御言(おほみこと)
  生死(いきしに)問はぬ?良雄(ますらを)が
  唯(たゞ)感激の涙呑む
  降り頻(し)く敵の彈丸(たま)の中
  降り頻く敵の彈丸の中

8. 他(た)に策無きに非(あら)ねども
  武名はやはか穢(けが)すべき
  傷病兵は自決して
  魂魄(こんぱく)共に戰へり
  魂魄共に戰へり

9. 殘れる勇士佰有餘(ひやくいうよ)
  遙かに皇居伏し拜み
  敢然(かんぜん)鬨(とき)と?共に
  敵主力へと玉碎す
  敵主力へと玉碎す

10.嗚呼(あゝ)皇軍の?髓(しんずい)に
  久遠(くをん)の大義生かしたる
  忠魂の跡受け繼ぎて
  撃ちてし止まん醜(しこ)の敵(あだ)
  撃ちてし止まん醜の敵

2008年4月 8日

黒の舟歌

長谷川 きよし(はせがわ きよし、1949年7月13日 - )
東京都出身の盲目のシンガーソングライター
1969年デビュー


黒の舟唄(1972年)


加藤登紀子     "黒の舟唄" ( Kuro no Funauta)

2008年4月 7日

The mamas and the papas - California dreamin

The Mamas & the Papas

 1960年代のアメリカで活躍したフォークグループ
 代表曲は『夢のカリフォルニア』
 1965年結成,フィリップス夫妻によって書かれたデビューシングル『夢のカリフォルニア』が、いきなり全米4位の大ヒットとなった。
 だが絶頂の最中に、ミシェル・フィリップスとデニー・ドハーティの不倫が発覚,1968年になるとグループは完全に崩壊した。

California dreamin

2008年4月 6日

Michel Polnareff Holidays

ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 - )

 フランス出身のシャンソン歌手、ピアニスト、作詞家、作曲家
 1971年8月にCBSソニーよりシングル「シェリーに口づけ(Tout tout pour ma chérie)」と、ファースト・アルバムに「シェリーに口づけ」を追加収録したアルバム「愛と青春のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ1」が発売
 「シェリーに口づけ」は日本で40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなった。
 異様に大きなサングラスのルックスでも話題を呼んだ。
 また股間のみを帽子で隠したヌードも披露。当然当時の日本の男性アイドルではあり得ない格好であり、人々の度肝を抜いた。

2008年4月 5日

惜別の唄

惜別の唄/小林 旭

原詩は、島崎藤村の「若菜集」にある「高楼」

 作曲したのはちょうど六十年前の戦争が終わる直前、昭和二十年の一月頃。
 僕らは東京板橋の陸軍造兵廠[ぞうへいしょう。兵器の製造等を担当する(機関又は)工場]というところに徴用されました。
 陸軍造兵厰[には]東京の[旧制]中学生、女学生もたくさん動員されていた。
 空襲が激しくなり、仲間にも毎日のように赤紙が来た。
 控え室に集まっては、明日から居なくなる仲間を、冷えた番茶一杯で送っていた。
 その時、「この歌、知っていますか」と東京女子高師(現・お茶の水女子大)の学生が「若菜集の「高楼」です」と一編の詩を持ってきた。
 僕が、「高楼」に曲を付けたのは、言葉に出せぬ無言の別れを、無言のままに済ませることが出来なかったから。
 造兵廠に勤めていると、下宿などしている学生の住所がわからないので、召集令状が直接工場に届く、毎日のように。
 僕はその赤紙を本人に渡す役だった。
 もうそのときは、再び会える別れじゃなくて、「お前の顔を見るのはこれで最後だな」という別れだ。
 冷えた番茶一杯だけで、一滴の酒もない壮行会をやる。それだけで別れるのが辛くて。
 工場で僕が口ずさんでるうちに、みんなに「教えろ」といわれて、口から口へ伝わり、いつしか造兵厰で、出陣学徒を送る歌、惜別の歌になっていた。
 工場で一緒に働いていた他校の中学生・女学生もみんなこの歌を覚えてくれて、戦後、彼らが上の大学に行ったり、地方へ帰ったりして、全国に広がった。

作詞 島崎 藤村 作曲 藤江 英輔


2008年4月 4日

Eagles - Hotel California

イーグルス(Eagles)
 1971年にデビューしたアメリカのカントリー・ロック・バンド

 イーグルス(Eagles)は,グレン・フライ(Glenn Frey )、ドン・ヘンリー(Don Henley )、ランディー・マイズナー(Randy Meisner )、バーニー・リードン(Bernie Leadon )の4名で1971年8月に結成された。
 デビューアルバム『Eagles (イーグルス?邦題:「イーグルス・ファースト」)』のタイトル曲となった軽快なナンバー「Take It Easy (テイク・イット・イージー?「気軽に行こう」の意)」がいきなりヒットし、瞬く間に1970年代に一世を風靡したウエストコースト・サウンドの代表の仲間入りを果たした。
 1976年に発売されたベストアルバム『Their Greatest Hits 1971-1975 (グレイテスト・ヒッツ 1971-1975」)』は、全米だけでも2,900万枚以上の売り上げを記録して全米歴代で最も売れたアルバムとして君臨し、プラチナ・ディスク認定第1号となった。
 代表作とされている『Hotel California (ホテル・カリフォルニア)』(1976年)においては、当時のロック界ひいては都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞と13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったタイトル曲「Hotel California (ホテル・カリフォルニア)」、かつての勢いを失いつつあったウェストコースト・ロックの凋落を皮肉るように、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「New Kid In Town (ニュー・キッド・イン・タウン)」など、単に人間の性(さが)や振る舞いを唱っているように見えながらも暗に根深い社会問題を提起するような深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲にちりばめてバンドとしての頂点を醸成し、全世界的な大セールスを記録してバンドを押しも押されぬアメリカン・ロックの代表格にまで押し上げた。

Eagles - Hotel California

2008年4月 3日

三波春夫 元禄名槍譜 俵星玄蕃

三波 春夫(1923年7月19日 - 2001年4月14日 本名・北詰文司)
新潟県三島郡越路町(現・長岡市)出身の大衆歌謡の歌手

 元浪曲師であり、浪曲に題材を取った歌謡浪曲を得意とした。  特に「元禄名槍譜 俵星玄蕃」に代表される長編歌謡浪曲は、三波にしかできない芸当と評される。
 1939年、16歳の時に浪曲師・南條 文若(なんじょう ふみわか)としてデビュー。1944年に陸軍入隊し、敗戦後ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後約4年間のシベリア抑留生活を過ごす。
 1949年9月、帰国。浪曲師として復帰し、活躍した。1957年6月、芸名を「三波春夫」と改めて歌謡界へデビュー。
 1999年12月31日、最後の紅白歌合戦出場を果たす。この時歌った「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は60年に及ぶ三波春夫の歌芸の集大成とも言われる。
 2001年4月14日、前立腺癌のため東京都内の病院で死去、77歳没。


三波春夫?俵星玄蕃フルバージョン?


2008年4月 2日

森田童子

森田童子(1952年1月15日 - )
東京都出身のシンガーソングライター

 1980年前後,神田駿河台の酒臭い地下で,酔いつぶれながら歌ったら,いろんなものが飛んできた・・・

 反省して,次からは,「僕と観光バスに乗ってみませんか」とか「風さわぐ原地の中に」とかを歌うことにした・・・

 1993年,突然テレビから,この曲が流れ出した・・・

 同世代が前に出る時代になったんだな,と思った・・・

僕たちの失敗

さよなら ぼくのともだち

君は変わっちゃったネ

みんな夢でありました

大学や高校での学園闘争が吹き荒れる中、高校を中退。
20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める。
1975年、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビューし、以後主にライブハウスを中心に活動。
1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年の新宿ロフトでのライブを最後に活動を休止する。
レコーディングの編曲、演奏はアコースティックギターの第一人者石川鷹彦(元六文銭)が担当した。
カーリー・ヘアにサングラスというスタイルでコンサートはもちろんレコードのジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。

2008年4月 1日

甲斐バンド


甲斐 よしひろは高校時代から本格的に音楽活動をはじめ、1974年3月「第3回ハッピー・フォーク・コンテスト」全国大会優勝。
5月に、大森信和、松藤英男、長岡和弘と共に甲斐バンドを結成し、11月に「バス通り」でデビュー。
1975年6月にセカンドシングル「裏切りの街角」をリリース。
1978年12月「HERO(ヒーローになる時、それは今)」で初のチャート1位を獲得。
1986年、甲斐バンド解散後、ソロ活動を開始。


裏切りの街角


ポップコーンをほおばって


氷のくちびる